「法のグロヌバル蚀語」ずしおの芏範論マンハむム、2024幎11月28日–30日

2024幎11月28日から30日にかけお、マンハむム倧孊保有のマンハむム城にお、第5回の察面研究䌚が行われた。 Laura Neumann のオヌガナむズのもず、「法のグロヌバル蚀語ずしおの芏範論」をテヌマずした。芏範論ワヌキンググルヌプのメンバヌのほか、囜内倖からのゲスト参加者・講挔者を埗るこずが出来た。ワヌキンググルヌプメンバヌのほか、 David Duarte リスボン倧孊、ポルトガル、 Wolfgang Frisch フラむブルク倧孊、ドむツ、 Klaus GÃŒnther フランクフルト倧孊、ドむツ、 川口浩䞀 (Hirokazu Kawaguchi) 明治倧孊、日本・東京)、 Pablo Sánchez Ostiz ナバヌラ倧孊、スペむン・パンプロヌナ、 Paul H. Robinson ペンシルバニア倧孊、アメリカ・フィラデルフィアによる生産的か぀刺激的な議論が亀わされた。

第報告は、 Neumann による英語講挔「芏範論は法のグロヌバル蚀語かNorm Theory as a ‚Global Legal Language‘?」であり、今回の研究䌚の党䜓テヌマが瀺された。その基瀎ずなったのは、行為芏範ず制裁芏範ずいう芏範論の基本的区別であった。これに基づき、次のテヌれが瀺された。すなわち、芏範論には、刑法および刑法芏範に関するディスコヌスにおいお「法のグロヌバル蚀語」ずなりうるポテンシャルが含たれおいるずいうのがこれである。このテヌれの怜蚌のため、 Neumann はたず、芏範論が個々の法秩序の圱響から䞭立的であるか、そしおそれは䜓系を超えお分け隔おなく適甚可胜なものかを怜蚎した。そこで匷調されたのは、 Freund および Rostalski が支持する芏範論、すなわち個々人が自ら、実定法芏を考慮しお、個々の状況で打倒する行為芏範を構築するものずする、いわゆる実䜓的に充填される芏範論も、いわゆる玔分析的な芏範論、すなわち行為芏範は実定法、それも法秩序ごずに異なる抜象的・䞀般的な法埋に拘束力をもっお定められおいるずする芏範論も、刑法以倖の法埋の内容に぀いお䜕らの䞻匵もするものではないずいう点であった。このこずに察応しお、このいずれのバヌゞョンも、行為に぀いおの犁止・呜什が刑法以倖のずころに芏定されおいお、その内容を取り蟌む、あるいはそのような犁止・呜什を暗黙のうちに基瀎づけおいるような刑法芏範の構成芁件郚分ずの関係では䞭立的であるず、 Neumann はいう。 Neumann は、刑法倖の芏定内容およびこのような芏定を統合し、あるいは黙瀺的に創出する刑法芏範の構成芁件芁玠に察する芏範論の䞭立性から、刑法芏範の基本構造や、兞型的には総論芏定に定められる刑法䞊の答責性の䞀般的芁件に぀いお、法秩序を超えたやりずりを可胜にするものずしお、芏範論は「法のグロヌバル蚀語」たりうるずする。もちろん、「法のグロヌバル蚀語」、あるいは—— Renzikowski の蚀い方を甚いれば——「刑法の共通文法」ずしおの芏範論が適甚可胜ずなる基本的な芁件は、基本暩の担い手ずしおの個人ず囜家ずの関係に関する、法治囜家ずしおの諞原則に察応した理解である。個々人の暩利ぞの囜家による介入は、そのような法治囜家的な囜家理解に基づいおのみ、正圓化が求められる。個々人の自由暩ぞの介入があるにもかかわらず、その正圓化が求められないずいう堎合には、あらゆる芏範論はその意味を倱う、ずいうのである。

Juan Pablo Mañalich Raffo は、翌日のプログラムも芖野に入れ぀぀、芏範論を刑法の普遍文法ず理解するこずが可胜であるずいう点には賛意を瀺すが、それが、法のグロヌバル蚀語ずしお芏範論を理解するこずず同矩であるず無条件に芋るこずはできないずの指摘をした。 Schneider は芏範論ず法蚀語ずの違いを匷調した。圌女によれば、芏範論には䞭立性が認められるが、その䞭立性は蚀語や文法自䜓に備わっおいるものではないずする。蚀語や文法は文化的特性の䞋にあるからだ、ずいうのである。議論を補足し぀぀も射皋を限定するため、 Frisch からは、芏範論の範囲を限定するこずの意味は過小評䟡されるべきではないずいう点を確認する指摘がなされた。圌は、個別問題の比范法を行う際には、法実践・法実務における実䜓的内容が重芁ずなるこずから、芏範論は問題解決の助けずはなりえないずいうのである。 Kyriakos N. Kotsoglou は基本的にこれに賛同し぀぀も、問われるべきは、芏範論の実践性、ずりわけ異なる法䜓系を背景ずしたずきの実践性の問題であるずする。圌は、玠人たる陪審が基本的に理解すべきでもなく、たた理解する必芁もない圢で展開しおきた文法を、陪審が理解し、刀断にあたっお参照すべきかがたず問われるずする。 Robinson もこの点を補足しお、次のようにいう。すなわち、ここでは孊術的ディスコヌスの倖郚にある法埋家たちがどの皋床事情をわかっおいるのか、そしお圌らの芏範論ぞの理解がどのようなものかが問われるずいうのである。

2日目金曜日のプログラムは、 Mañalich の報告からスタヌトした。䞻題ずなる問いは、芏範論は刑法の文法たり埗るか、であった。圌は、行為芏範ず垰属芏則の区別は、刑法を比范し分析するための䞭心的ツヌルずしお重芁性を有するずいう。圌は、行為芏範は、法的に指瀺され、あるいは犁止される行為を定矩し、そこから矩務論的刀断の基瀎ずなるものずしお、指瀺機胜を果たすずする。垰属芏則は、答責性の基準を定め、前論理的刀断の基瀎ずなるものずする。さらに Mañalich は、芏範論は文法的なメタ蚀語ずしお機胜し、そこでは、刑法䞊の答責性の文法は、蚀明の意味を定める構成的芏則に基づくこずになるずする。ここで Mañalich は、 Wittgenstein による哲孊的文法の抂念ずの類䌌性を持ち出す。 さらに、 Hruschka による画期的な論理的・分析的探求に䟝拠するこずで、次のこずが可胜ずなるずする。すなわち、垰属の段階ず圢匏にかかわるような2぀の盞補的な区別がなされるこずにより、所䞎の垰属芏則が定める諞条件を䜓系化するこずがこれである。垰属の第段階にあるのが、犯眪ずしおの行為、すなわち事実的垰属〔imputatio facti〕である。これに察しお第2段階にあるのが、有責な矩務違反ずしおの犯眪の垰属、すなわち法的垰属〔imputatio iuris〕である。圢匏に関しおは、芏範の名宛人が事実ずしお持぀胜力に基づく垰属の通垞圢匏ず、行為者が通垞垰属の基準を充足しなかったこずぞの自己答責性に基づく垰属の䟋倖圢匏ずが区別される。 Mañalich は、第段階の䟋倖垰属基準の䟋ずしお過倱、すなわち必芁な予枬的衚象なしに行為を実行したが、それにもかかわらずこのような認知的欠損に察しお答責的であるずされうるような堎合ずしお特城づけられるものずしおの過倱を取り䞊げる。このような区分は、異なる刑法䜓系を比范し、芏範論の助けを借りお刑法の深局文法を理解するために必芁であるずする。

続けお、 Zhiwei Tang は、実䜓的芳点から、芏範論による構造分析は比范刑法の方法論ずなりうるかずいう問いを扱う。 Tang は、本来的な意味での比范刑法の暙準的方法論は、機胜的方法であるこずを確認する。その重点は、法抂念の目的蚭定ず䜜甚law in actionに眮かれ、抂念それ自䜓law in the booksに眮かれおいるわけではないずする。たさにこの機胜的等䟡性を確定する際に、行為芏範ず制裁芏範の区別が意味を持぀こずになるずする。 Tang は、比范可胜な機胜を確定するための普遍文法ずしおの芏範論の圹割を匷調する。厳密に区別されるべきは、法の翻蚳ず法の比范である。実際、翻蚳が異なっおくる原因は、倚くの堎合、その囜の蚀語には党く存圚しないような抂念を䞀郚翻蚳しなければならないずいう点にある。このような法の翻蚳のプロセスを明らかにするために、 Tang は、実際の翻蚳においお倚くの問題をもたらす未遂の䟋を挙げる。ドむツにおいおは、 ドむツ刑法22条 により、行為者がその衚象に埓い、構成芁件実珟を盎接に開始したのがい぀かが基準ずなる。これによれば、未遂は、行為決意ず盎接の開始、そしお既遂に至らなかったこずからなるこずになる。これに察しお䞭囜の未遂は、目的達成が党く重芁でないずいう意味で根本的に異なる圢で定矩されおいる。それゆえ Tang は、分析道具ずしおの行為芏範ず制裁芏範の区別を通じお、少なくずも構造比范の郚分、すなわちそれぞれの法秩序における文化的瀟䌚的ファクタヌを考慮した比范の郚分を詳现にできるものであるずする。そうではあるものの、芏範論は実䜓的問題を解決するには限界があり、むしろそれ自䜓が1個の固有の蚀語ですらある。ずはいえ、芏範論は、グロヌバルな文脈におけるドグマヌティクの構造分析ツヌルずしお盞圓な付加䟡倀を提䟛する。それゆえに、芏範論に即した刑法比范は、孊問的ディスコヌスを特城づけるものであるずする。

Inês Godinho は、分析的芏範論、実䜓的芏範論、䞀元的芏範論、そしお二元的芏範論の区別ずそれぞれの組み合わせの問題を取り䞊げた。圌女自身は二元説を基瀎ずし、これによれば、芏範論は、分析的芖点からのメタコンセプトであり、芏範の解釈および限界づけ理論的基準を提䟛するものであり、あるいは刑法ドグマヌティクずしおの実䜓的芳点から分類されるものずなる。 Godinho は、蚘号論の重芁性を匷調する。蚘号論では、シニフィアン——すなわち抂念——は蚀語的蚘号ずしお客芳的か぀事実的である䞀方、シニフィ゚——すなわち語を聞いたずきに浮かぶむメヌゞ——は蚀語的蚘号の内容であるずされる。 Godinho は、行為芏範ず制裁芏範ずいう基本的な区別に぀いお、蚘号論的芳点から報告した。仮に芏範が無時間的であるのであれば、同時に倉化に察しお抵抗を持぀こずになる。しかし、指針ずしおの行為芏範は、その時間的珟実に䟝存するものであり、解釈に開かれおいる。刑法は、深局象城の珟れであり、ある時代の䟡倀や倫理的・道埳的暙準を反映させたものである。象城は、他の珟実を指し瀺す蚘号ずしお機胜し、蚘号によっお瀺された被参照項がその意味を明らかにする。それゆえ Godinho は、刑法の芏定に含たれおいる行為芏範は、蚘号ずしおの性質ず象城ずしおの性質を䜵せ持぀ずする。垂民の目から芋たずき、刑眰芏定は、蚱容可胜な行為の限界に぀いおのコンセンサスに基づく犁止を瀺すものである。 Godinho は、そこから刑法の芏定には2぀の目的があるこずを浮き圫りにする。1぀は、保護法益を匷調する目的であり、もう1぀は、行為の理由を䞎える目的である。それゆえ、二元的芏範論は、蚘号論の芳点からは分析的なメタ理論ずしお、芏範の目的を瀺し、刑法䜓系の実効性を高めるのに適したツヌルであるずする。

Juan Pablo Montiel の報告は、法人凊眰における責任抂念を扱うものであり、そこでは埓来、芏範論に基づく議論が䞍十分であったこずを批刀する。䞻題ずなるのは、集合的存圚の刑法䞊の答責性である。集合的存圚の答責性はしばしば、必芁な芁件ずしおの芏範論を欠いたたたに——たさに芏範論がグロヌバル蚀語ず芋られおおり、意芋の盞違を克服しうるものずされおきたにもかかわらず——認められおきた。様々な答責性のモデルを怜蚎した結果、 Montiel は、立法および叞法が、責任䞻矩をむしばむハむブリッドモデルをしばしば持ち出しおいるこずを批刀する。自己答責性モデルが、垰属モデルに察しお優䜍するず圌はいう。組織責任の抂念は、明確な実質的・圢匏的芁件を欠いた空の入れ物であり、十分な理論的基瀎を欠いたものであっお、そこでは芏範論が考慮されおおらず、あるいはされおいたずしおもレトリック的な芁玠ずしお道具化されおいるずいうのである。 Montiel は詳现な論蚌を行い、法人の責任胜力や違法性の意識に぀いお根拠のあるディスコヌスを可胜ずするためには、組織責任の抂念に察しお䞀貫性を持っお立ち向かうこずが必芁であり、それには芏範論の䞀貫した適甚が必芁ずなるずした。

続いお、 川口 (Kawaguchi) が、サプラむチェヌンにおける泚意矩務に固有の芳点から芏範論を取り䞊げた。議論の䞭心ずなるのが、行為芏範の違反ず結び぀いた過料芏定を有する サプラむチェヌン・デュヌデリゞェンス法24条である。行為芏範ず制裁芏範の違いず䞊んで、 Mayer に基づけば法芏範ず、道埳的原理ずしお法の倖で劥圓するこずにある文化芏範が区別される。 川口 (Kawaguchi) は、 サプラむチェヌン・デュヌデリゞェンス法 の行為芏範はあいたいで、それゆえに解釈を芁するものであるこずから、憲法䞊の芁求に぀いおは別途怜蚎すべきこずを匷調した。芏範論は、問題分析のための芳察ツヌルずしお適性がある䞀方、刑眰論などの他の正圓化理論によっお補充されなければならないずする。

2日目の締めくくりずしお、 Antonio José Teixeira Martins が、芏範論は囜際的な刑法察話を可胜ないし促進するかずいう問いを扱った。南半球での経隓ずドむツ刑法孊の継受を手がかりずしお、 Martins は、ドむツの刑法ドグマヌティクに即した議論が持぀怍民地化傟向を批刀し、基瀎づけのディスコヌスず適甚のディスコヌスを区別するこずの必芁性を匷調した。䞍法行為のカテゎリヌの盞察的柔軟さず回垰性を保障するためには、犯眪論は、その法的ディスコヌスにおいお先に述べた区分を考慮する必芁があるずいう。 Martins は、蚀語の構成的特城に぀いお説明し、芏範的な蚀語は自らを構成するずずもにその察象をも構成するずいう。蚀語ず瀟䌚的ディスコヌスの構成的次元ずを合流させるための深局文法ずしお芏範論は機胜する。そこでは、どのような芏範論が適甚されるべきかずいう決定が問題ずしお生じる。ここでは行為芏範ず制裁芏範、あるいは行為芏範ず垰属芏則ずいう基本的な区別が䞭心的意矩を有するず Martins はいう。垰属芏則の受容ず説埗性、そしお責任を問うずいう瀟䌚的実践が重芁な圹割を果たすのである。プラグマティックな次元でのディスコヌスは、蚎議ぞの関䞎者に、反論に乗り出す甚意があるかどうかに䟝存する。その際に、芏範的蚀語や立法に察する実質的な、䟋えば経枈的な圱響は無芖できない。南半球の䟋ずしお、 Martins は、ブラゞルで2016幎から適甚されおいるテロリズム法を挙げる。オリンピックずいう倧むベントに際しおの匷い囜際的圧力によっお本法は導入されたが、囜際的なアクタヌたちの念頭にあったようなテロ行為は、そのずきたでブラゞルでは党く蚘録されおいなかったのであり、本法が導入された埌ではじめお、そのような蚀葉が甚いられ、適甚されるようになったのである。囜際的な刑法察話の未来に向けお、 Martins は、芏範論の粟緻化が、蚀語構造ずそのような察話のディスコヌス空間の明確化の助けずなりうるずする。もちろん、実䜓的問題に぀いおの決断する際には、芏範論にも限界はある。それゆえ、将来、囜際的な刑法察話が成功するか倱敗するかは、むしろプラグマティックな構成芁玠に䟝存するずする。

察面研究䌚の最終日ずなる土曜日は、 Duarte が「芏範的システムの䞍倉芁玠ずしおの芏範Norms as Invariants of Normative Systems」をテヌマに講挔を行った。芏範的システムは、䞀連の芏範ず、 Hart の「承認のルヌル」や Bulygin の「同定の芏範」のようなシステムに属するかを決する基準によっお定矩される。芏範的システムを分類するず、そこには暩限芏範ず2぀の行為芏範が含たれるずされる。埌者においおは、「合法性」の基準により、この管蜄の枠内で䜜成された芏範は、システムに属するこずずなる䞀方、「控陀可胜性」の基準による芏範は、この芏範の垰結であるずされる。 Duarte は、芏範的システムは「䞍倉芁玠」ずしお存圚し、あらゆる芏範的システムにおいお、システムのダむナミズムず遞択された蚀語の基瀎にあるコミュニケヌションの偎面から生じる同定の芏範によっお芋出される必芁条件ず構造を有するものず説明する。このような「䞍倉芁玠」は、偶然的特性ず察眮される。芏範は、ある芏範的システムの統䞀䜓であり、芏範䞊の暩嚁による芏定的な曞かれた蚀語行為によっお発付される䞀方、芏範呜題の解釈に際しおは、解釈をするアクタヌがその構造における欠萜を埋めるこずになる。ここで Duarte は、芏範は法のグロヌバルな目的に資するものであり、それゆえに方法論䞊、行為を芏制するのに十分な最小限の構造が䞎えられるべきこずになるずする。それゆえ芏制に際しおは、行動の類型、行為類型の矩務論的な様態化、芏範の名宛人の範囲が必芁ずなるずする。

続いお Robinson が、すべおの囜家に劥圓する、異なる䌝統ず䟡倀を考慮した普遍刑法兞を䞖界的に起草するずいう構想を取り䞊げた。 Robinson は刑法による凊眰に関する䌝統的諞原理、䟋えば嚁嚇、曎生、危険防埡を批刀する。実蚌研究が瀺すのは、共同䜓の正矩芳念の分散が効果的であるこずであり、これは Darley/Robinsonの研究によっお、犯眪の評䟡ずも高いレベルで䞀臎を芋るこずが瀺されおいる。 Robinson は普遍刑法兞の課題ず限界、ずりわけ囜ごずの刑眰の峻厳さの違いを指摘する。刑眰の峻厳さの違いが必芁な堎合、あるいは文化的理由で犯眪ずしお凊眰される堎合に぀いお、 Robinson は、囜内での補充によっお芏埋されるものずする。しかし、身䜓ぞの攻撃や窃盗、詐欺のような䞭栞的な犯眪に぀いおは、それが党䞖界的に承認されるのであれば、それが共通の正矩芳念に基づくものである限り、普遍刑法兞は奜機であるずする。

最埌の報告は、 Kotsoglou の「科孊的゚ビデンス比范事実を真剣に考えるComparative Scientific Evidence: Taking Facts Seriously」であった。 Kotsoglou は、裁刀所が刀断をするに際し、珟実の科孊研究の察象を垞に基瀎に眮かなければならないこずを匷調する。これは、刑法䞊の抂念を珟圚の、ずりわけ医孊的および心理孊的な知芋からダむナミックか぀文脈に即した圢で解釈した R v Ireland und R v Burstow (1997)においお瀺されたものである。科孊的知芋や法的問題に関する専門的知芋に蚎えるこずの重芁性は、すでにBuckley v Rice Thomas (1554) で匷調されおいたが、これはたさに、法の耇雑さを明らかにするものであるずする。これに察応しお、刑事手続においおは鑑定人や鑑定意芋の重芁性は高くなり、これは䟋えばスむス、オヌストリア、ドむツ、リヒテンシュタむンずいった法䜓系に芋られるものである。専門家の特別な胜力ず専門的知芋に基づく意芋を䜿甚するこずの蚱容性は、その意芋が科孊的信頌性の最䜎限の基準を満たしおいるかに䟝存する。それゆえ裁刀官はゲヌトキヌパヌずしお、ガむドラむンに瀺されおいる基準を斟酌し、個別事案における専門意芋の信頌性を評䟡しなければならないのである。このような圢で——科孊的゚ビデンスを比范するずいう意味で——他領域の専門知を取り蟌むこずは、法適甚にずっお、あるいはたた法の定立にずっおも䞍可欠のものであるずする。

以䞊10本の報告ずこのワヌキンググルヌプが持぀囜際的特色により、刑法に関するグロヌバルなディスコヌスの実践的課題ず、この課題を克服するために芏範論が重芁であるこずが瀺されたずいえる。囜際的な参加者を埗られたこずで、議論参加者は盞互に理解を深めるこずができた。議論に際しおは、蚀葉の壁を乗り越えるため、通蚳にも入っおもらった。そのプロずしおの仕事は、法の翻蚳、ずりわけ同じ法抂念でありながら、ずきずしおその囜のドグマヌティクや歎史的・瀟䌚的・政治的背景からその囜の特色に応じお異なっお理解されるものを甚いる堎合の課題を明らかにするものであった。すなわち、囜際的な刑法孊䞊の議論が持぀根本的問題は、芋かけ䞊は同じように甚いられおいる甚語の背埌にあるドグマヌティクなコンセプトの倚様性なのである。このような理解の難しさを克服するための法のグロヌバル蚀語ずしおの芏範論の圹割には倧きな意味があり、この知芋をもずにさらに発展させるこずが重芁なのである。

刑法ず法理論の䞀般問題 デュッセルドルフ、2024幎2月1日〜3日

Anne Schneider および Konstantina Papathanasiou 教授の招きにより、デュッセルドルフの歎史あるミッケルン城に、各囜から15名の法孊者が集たった。本ワヌキンググルヌプの囜際化が進んだこずをうけお、今回の䌚合は、これたでずは異なり、はじめおほが党線を英語で行うこずずなった。
Schneider による参加者ぞの挚拶、およびミッケルン城の簡単な玹介に匕き続き、第報告ずしお、 Zhiwei Tang から、可眰性を制限するものずしおの量的芁玠に぀いおの報告があった。怜蚎察象ずなったのは、重芁性の閟倀を含む䞭囜刑法の芏定である。このような閟倀は、特定の状況により匕かれる堎合もあればいわゆる「状況犯」、財産犯においお到達すべき䟡倀総額による堎合のほかいわゆる「総額犯」、特定の行為結果による堎合もあるいわゆる「結果犯」。䞭囜の刑法孊では、このようなメルクマヌルを教矩孊䞊どのように䜍眮づけるか、ずりわけ、䞍法メルクマヌルずしお構成芁件芁玠ずするか、凊眰の前提ずするかが争われおいる。この問題に、 Tang は、芏範論的な考察を加えた。第の芋解に察しおは、それは立法者が意図したずころず䞀臎せず、か぀匷制的な凊眰が予定されおいるずいうこずを無にするような新しい行為芏範を創蚭するようなものであり、このこずを Tang は「犁止されおいるものは、いかなる条件によっおも蚱容されるこずはない」ず簡朔にたずめおいる。続けお Tang は、次のような芋解を䞻匵した。すなわち、重芁なのは、ドむツの客芳的凊眰条件ず察比されるような、可眰性限定に関する実䜓法䞊の芏則ず、構成芁件ずは切り離された独自のカテゎリヌを圢成するずころの手続䞊の䟿宜䞻矩的基準ずの䞀皮の「ゞンテヌれ」である、ず。ここから、結論ずしお、量的メルクマヌルは、制裁芏範の芁玠であるず敎理されるずした。
2日目は、 Inês Godinho による「原因においお自由な行為」ずいう圢象ぞの芏範論の圱響に関する報告で幕を開けた。最初に Godinho は、人の答責性は、瀟䌚における垰属刀断に基づいおいるずいう点を確認する。およそ行為芏範を遵守する際には「他行為可胜性」ずいう意味における個人の自由が前提ずされる。このずき Godinho は、消極的な倖的自由、すなわち䜕かからの自由ず、積極的自由、すなわち、人の行為可胜性ずを区別する。埌者は意思自由ずも呌ばれ、これが決定的であるずする。これは、経隓的事実の蚌明可胜性ずは無関係なものであり、芏範的構成物であるずする。これに察しお、制裁芏範は、䟋えば行為者の幎霢に䟝存し、それゆえ責任胜力ずいう意味も持぀、答責性の存圚に䟝存する。これに続いお、 Godinho は「原因においお自由な行為」ずいう圢象の話題に移った。「原因においお自由な行為」に぀いお、ドむツ法には芏定はないが、ポルトガル法には、ドむツの議論においお䟋倖モデルず呌ばれおいる芋解に䟝拠した芏定がある ポルトガル刑法20条4項 。ある犯眪の遂行に関しお、故意により、責任無胜力を惹起した者に぀いおは、遂行時には責任胜力を欠くものの、同時存圚原則を逞脱しお責任胜力が認められるずするものである。 Godinho は、責任胜力は垞に行為の時点で立蚌されなければならず、䟋倖は支持できないずいう理由から、このような䟋倖を斥ける。これを Godinho は特に以䞋の点から基瀎づける。すなわち、そのように解さなければ、酩酊しおいなければ生じなかったであろう結果、䟋えば銃の狙いが䞍十分であるずいったこずたでも、行為者に垰属されおしたう、ずいうのがこれである。行為者は、被害者を殺すために、1回ではなく耇数回撃たなければならないのである。
これに続く Kyriakos Kotsoglou の報告は、終身自由刑の問題性に関するものであった。圌は、終身自由刑が実際には、平均16幎半の刑期を意味するずされるむングランドおよびりェヌルズの法に着目する。終身自由刑の導入ず死刑の廃止は、その圓初から論争の察象であった。特に終身自由刑が実務䞊、党く終身続くものではないずいう点がはじめから無芖されおいたこずが原因であった。むングランドおよびりェヌルズにおける「謀殺」に察しおは、終身自由刑が必芁的に科される。それゆえ、刑眰目的を量刑の過皋で考慮するこずはできないずされる。刑の執行においおは、3぀の芳点が重芁であるずする。たず、行為の䞍法を反映した刑の䞋限を確定する。続いお、釈攟により、公共の安党が危殆化されるかを明らかにする。そしお第3段階が、刑の執行猶予に類䌌する「仮釈攟」である。2003幎たでは、行政機関が最初の2぀の刀断を行っおいた。これに぀いお、 Kotsoglou は、むギリスの刀䟋ず欧州人暩裁刀所ずのコンフリクトを描き出した。むギリスの裁刀所は、欧州人暩裁刀所の刀䟋を承認するこずを、長く拒んでいた。続けお Kotsoglou は、「終身」ず぀けられおいる自由刑が、実際䞊倚くの事䟋においお16幎半の時点で終了しおいるずいうこずは、法システムは貫培されるものであるずいう点に぀いおの囜民の信頌を損なうものであるず䞻匵する。公衆は、終身ずは終身を意味するものでなければならないずいうこずを前提にしおいるずいうのである。ここで Kotsoglou は、刑眰目的ずしおの積極的䞀般予防が重芁な圹割を挔じるずする。近時の統蚈では、謀殺眪の䞭でも䞀定の堎合には死刑を科すべきずの考えが、むギリス人の䞭でも、特に高霢者においお倚く芋られるずいうこずが瀺されおいる。フランスおよびドむツにおける盎近の遞挙にかかる䞖論調査では、右翌保守䞻矩的傟向、すなわち安党志向の傟向が瀺されおおり、刑事叞法も、囜家の実力独占を維持するためにはこれに察応しなければならないずする。その䞊で、実際に終身続く自由刑を科すこずが可胜でなければならないずする。
最終日ずなる3日目は、その瀟䌚においお圓眰的ず考えられおいる行為態様の非犯眪化を扱う Paul Robinson の基調講挔を導入ずした。その䞭で Robinson は、次のようなテヌれを䞻匵した。すなわち、ある行為態様に぀いお、垂民の䟡倀評䟡に反する非犯眪化を行うこずは、これにより刑法がその「道埳的暩嚁」を倱うこずになるこずから、あたりにも倧きな瀟䌚的コストず結び぀くこずになる、ずいうのがこれである。このずき、 Robinson は「非犯眪化」を広くずらえ、察応する制裁芏範が廃止される堎合のみならず、䞀定の犯眪事実に察しお効果的な刑事蚎远が行われないずいう状況も含めお理解しおいる。埌者の䞀䟋ずしお、地方怜察庁の怜察官によっお決められる「䞍起蚎政策」があるずする。これは暩力分立の芳点からは極めお問題があるものの、アメリカ合衆囜では蚱容されたものである。 Robinson は、フィラデルフィアにおける歊噚関係の犯眪の䞍起蚎の事䟋ずノァヌゞニアにおける重倧ずはいえない家庭内暎力の事䟋を甚いお、刑眰による嚁嚇が倱われたずころでは、これに察応する犯眪が急速に増加するに至ったこずを瀺す。たた、特定の人的集団の䞍起蚎も時折行われおいるが、これもたた、そこに朜圚的な差別が生じうるずいう点に鑑みるず、問題のあるものであるずする。非犯眪化の叀兞的な堎合ずしお、 Robinson は、950ドル以䞋の䟡倀の物の窃盗を秩序違反に栌䞋げしたカリフォルニアの “Proposition 47” の䟋、およびハヌドドラッグの自己䜿甚目的所持ずの関係で同様のこずを芏定するオレゎンの “Measure 110” の䟋を挙げる。 いずれのケヌスも、察応する犯眪の件数が著しく増加したずする。それゆえ䞖論調査では、䜏民の倚数がこの間に、察応する行為に぀いお再床刑眰の察象ずするこずに賛成したずする。ここで問題ずなるアクタヌは、民䞻的に正統性があり、それゆえに囜民の意思を代衚するものであるずの批刀が容易に思い぀くが、これに察しお Robinson は、䟋えば地方怜察庁の怜察官遞挙においお非犯眪化が提案されおいる堎合に、その垰結を䜏民が完党に理解しおいないか、あるいはこれを「抱き合わせ販売」の枠内で受け入れるしかないか、ずいう状況がしばしばであるずの異論を向ける。 Robinson は、䜏民の倚数の意思に盞応しない非犯眪化は、刑法の道埳的な信頌性を危殆化するものであり、結局のずころ刑法に埓う者を枛らすこずに぀ながるずいう。これは、ノィネット研究によっお瀺されるように、刑の重さが応報の芖点から算定されるこずから、「䞍盞応な」非犯眪化は、公正ではないず䜏民の倚数が受け止めるずいう事実に基づいおいるずいう。たた、䞍公正であるずか誀っおいるず受け止められる裁刀が増えるほどに、刑法秩序ぞの信頌が䜎くなるずいうこずも、研究によっお蚌明するこずができるずいう。 酒類補造販売犁止や゜連統治䞋における東ベルリンの䟋から、 Robinson は、䞍公正であるず受け止められた法的状態は、法埋違反に察する蚱容性を倧きくする方向に働くこずを瀺す。しかし、犯眪率の䞊昇は、倚くの犯眪が発生し、事件の解明率も䜎いような、垂や町の䞭でもより貧しい゚リア、すなわち、特にマむノリティが䜏む゚リアで生じる。 Robinson は、非犯眪化に代えお、正圓防衛や逮捕暩、あるいは責任無胜力のような「抗匁」を拡匵し、それほど重倧ではない事案を正圓なものず認めるこずを䞻匵する。そこで意味しおいるのは、行為者の瀟䌚的バックグラりンドではなく、犯眪に関連する枛軜事由を認めるずいうこずである。最埌に、 Robinson は、圓眰的な態床を非犯眪化するこずのマむナスの効果は、圓眰的はもはやいえないような行為を犯眪化する堎合にも生じるこずを指摘する。ここで Robinson いく぀かの州ではなお犯眪ずされおいる姊通ず、倧麻䜿甚の非犯眪化を挙げる。いずれの堎合においおも、非犯眪化が䜏民の望むずころに察応しおいるずし、その結果ずしお、犯眪化は、䜏民がそれ以倖の行為も含めお、「それほど悪くない」 ず考えるこずに぀ながりかねないずする。
続いお、今回のカンファレンスの最終報告ずしお、 Juan Pablo Montiel が原因においお自由な行為に぀いおの報告を行った。最初に、原因においお自由な行為の凊理に関する諞理論が取り䞊げられる。これらの理論は共通しお、次のような目的を远求する。すなわち、行為者が有責に惹起したが、責任無胜力の状態で遂行した犯眪行為に぀いお、刑法䞊の負責が排陀されるこずのないようにする、ずいうのがこれである。そしお Montiel は、様々なアプロヌチを2぀のモデルに敎理する。「埩掻モデル」ず「埓属責任モデル」がこれである。「埩掻モデル」ずは、行為者が責任無胜力状態で実珟した構成芁件による行為者凊眰を求める理論ないしアプロヌチである。 このモデルの呜名の趣旚は、「䞀床死んだ」責任胜力が、䜕らかの論蚌や法的操䜜により、再び「生き返る」ずいう点にある。埓属責任モデルでは、埩掻モデルずは異なり、責任無胜力状態䞋での行為に぀いおの行為者凊眰ではなく、埓属的な芏範による凊眰が前面に出るずいう。埌者のアプロヌチは、コモンロヌにおいおは広く普及しおいるが、倧陞法秩序においおも䞀定の珟れが芋られるずする。 Montiel によれば、「埩掻モデル」の支持者は、責任胜力を欠く行為者を凊眰する唯䞀の方法は責任胜力の埩掻であるずの考えに䞎しおいる。報告においお、 Montiel は、拡匵モデルず䟋倖モデルに特に着目する。埌者は、ドむツにおいおは倚数説の採甚するずころではないが、スペむンやラテンアメリカでは支持を増やしおいるものである。これらの理論によるず、垂民が刑法䞊問題のある行為をしないこずのみならず、責任無胜力状態に身を眮かないずいうこずも、囜家が期埅しおいるずいうこずになる。党䜓ずしお、 Montiel は、「生き返った」責任胜力は、結論ずしお行為者に䞍利益ずなるフィクションに基づくものであるずしお、埩掻モデルは匷く批刀されるべきであるずする。これに察しお、埓属責任モデルの出発点は、行為者が責任無胜力状態における行為を理由ずしお凊眰されるこずは、いかなる芳点のもずであっおもありえないずいう点にあるずする。そうするず、このような芋解の支持者は、別の行為を凊眰する、別の埓属的芏範に遡る必芁があるこずになる。このような、どちらかずいえばコモンロヌ圏で支持されおいるモデルの珟れが、 ドむツ刑法323a条 に芏定される酩酊構成芁件である。同眪は、責任無胜力状態での行為ではなく、その前の、その状態ず因果性を有する酩酊する行為を制裁の察象ずするものである。この点に぀いお Montiel は、次のようにコメントする。すなわち、芏範の導入の時点では、倚くの孊説が、この芏範により、原因においお自由な行為の問題は解決されるこずを前提にしおいたが、他方で、今日の理解は、この芏範は単に「埓属的解決」を提䟛するものに過ぎないずしおいるずいうのがこれである。にもかかわらず、 Montiel は、このようなアプロヌチを、原因においお自由な行為の問題を匕き受ける唯䞀正圓な道であるずする。このような構想から、 Montiel は、酩酊構成芁件を、その日陰の存圚から解き攟ち、それにふさわしい圹割が䞎えられるように改正するこずを提案する。

刑法の囜際化過皋における芏範論のポテンシャル 2022幎9月8日−10日、斌コンスタンツ

研究䌚論文集

䌚議報告曞も参照のこず: Jakobi, JZ 2023, 608

 芏範論ワヌキンググルヌプの第3回研究䌚は察面圢匏ずなり、刑法の囜際化過皋における芏範論のポテンシャルをテヌマずしお、 Liane Wörner、 Stefanie Bock、 Svenja Behrendt 、 Laura Neumannの4名の䞻催で、2022幎9月8日から10日にかけおコンスタンツにお開催された。ワヌキンググルヌプのメンバヌのほか、ゲストずしお明治倧孊東京の 川口浩䞀 (Hirokazu Kawaguchi)、むスタンブヌル倧孊の Adem Sözüerを迎えお議論が展開された。

 2022幎9月8日の倜に行われたオヌプニング・レクチャヌでは、 Stefanie Bockが、刑法の囜際化における芏範論の重芁性を包括的に論じた。 Bockは、グロヌバル化は犯眪の越境化を䌎い、その結果ずしお各囜が連携しお察応する必芁性が生じるこずから、刑法に盎接的な圱響を有するずする。連携した察応が必芁ずなる分野には、各囜における囜内法䞊の刑事芏制の統䞀化、囜際叞法共助、刑法適甚法の3぀がある。この郚分での課題ずしお、法の統䞀化ぞのニヌズず、各囜の文化的アむデンティティの保障ずの緊匵関係を適切に考慮しなければならないずいう点が挙げられる。この文脈においお Bockは、芏範論に倧きな意矩があるずする。もっずも、芏範論は、少なくずも、 Bindingに淵源を有するその叀兞的な圢態では、刑法の囜際化によっお新たに生じる問題の党おに答えるこずは出来ないずしお、この分野における芏範論の掻甚のためにはさらなる議論が必芁であるずする。この点の䟋ずしお Bockは、刑法では行為芏範は個人に向けられるのに察しお、囜際法は囜家を名宛人ずするずいう囜際刑法における名宛人の問題を特に指摘する。芏範論は、発生する党おの問題に特効薬を甚意するものではないずしおも、囜家を超えお劥圓する囜際的な行為芏範を志向するずいう芏範論の特城から、刑法の囜際化にずっお極めお重芁なポテンシャルを秘めおいるず Bockはいう。この点を螏たえお Bockは、䟋ずしお、囜際的な行為芏範が芳念できる堎合、このような芏範は囜際法の基準に埓っお解釈されるのに察しお、制裁芏範は各囜の基準に埓っお評䟡されるずいう、芏範論から生じる芏範解釈䞊の認識の問題に立ち入る。これによれば、圓眰性刀断が異なるこずは、囜際的な行為芏範の劥圓性に疑問を付すものではないが、制裁芏範の法的な盞違の評䟡にずっおは決定的な意矩を有するこずになる。さらに、 Bockによれば、芏範論は、芏範違反を蚎远しないこず、あるいは刑事蚎远の実務においお遞択性があるこずの評䟡にも圱響を持぀。なぜならば、芏範論䞊の基準によれば、あらゆる芏範は制裁による匷化を必芁ずするからである。このように、個人は制裁芏範の遵守を芁求するこずもできるため、刑法芏範によっお基瀎づけられる働きかけの第3の次元を考慮する必芁がある。ある特定の行動を内容ずしお個人を名宛人ずする呜什ないし犁止ず、このような呜什ないし犁止に違反した者を凊眰すべしずする囜家を名宛人ずする呜什のほかに、囜際瀟䌚を名宛人ずする、少なくずも囜際的な行為芏範に違反しお人暩䟵害行為をした者に察しお制裁を科さないこずずした党おの者に制裁を科すべしずの呜什が考えられるずする。

 オヌプニング・レクチャヌでの基瀎的な考察に続いお、翌金曜日の第1報告者である Konstantina Papathanasiouが、デゞタル化の芳点から、刑法適甚法ずの関係で芏範論がどのような意矩を有するかずいう問題を扱った。報告の出発点ずなるのは、Ulfrid Neumannによる、ドむツ刑法3条以䞋の芏定を構成芁件芁玠ず䜍眮付け、それゆえに䞍法に関連するものであるずする立堎である。 Papathanasiouは、この立堎に䟝拠し、サむバヌ犯眪ず暗号資産取匕所における刑法適甚法䞊の問題を論じた。サむバヌ犯眪の関係でよく甚いられる朜圚的危険犯は、ドむツ刑法9条1項にいう結果地を基瀎づけるこずはできず、それゆえそれ以倖の基準を揎甚するこずが必芁ずなるずいう点が匷調される。暗号資産取匕所に぀いおは、暗号通貚垂堎芏則MiCAに関する委員䌚提案を参照する。そこで策定されおいる垂堎濫甚芏制は、第䞉囜における䜜為および䞍䜜為にも適甚されるこず、およびそれに付随する刑眰法芏は、ドむツ刑法3条以䞋の芏定を超える圢で適甚範囲が拡匵されるこずは、各囜の刑眰法芏の普遍的劥圓を、裏口から認める垰結に至るずする。これに匕き続く議論では、 Bockが、なぜ倖囜法の適甚が民事法では可胜であるのに、刑事法では䞍可胜なのか、たたグロヌバル化する䞖界においお、代理凊眰の発想を再考する必芁はないかずいった問題提起を行った。
 これに続く、 仲道祐暹 (Yuki Nakamichi)の報告では、著䜜暩法を䟋ずした芏範論の普遍的なポテンシャルの問題が扱われた。その際、 仲道 (Nakamichi)は、たず総論ずしお、芏範論が、日独の著䜜暩法に぀いお、その蚀語的違いを超えた統䞀的な構造分析を可胜ずするずいうポテンシャルを有するこずを瀺す。各論ずしお、 Louis Kaplowの「ルヌル」ず「スタンダヌド」の区別に関する芏範論的芳点からの分析を行った。この区別は、著䜜暩法の暩利制限のモデルずフェアナヌスモデルの違いに察応するずする。これに匕き続く議論では、芏範論的芳点から、ルヌルずスタンダヌドの区別の有甚性が取り䞊げられ、特に、スタンダヌドでは、行為芏範の具䜓化が困難であるずいう問題があるこずが匷調された。この点で Behrendtは、スタンダヌドによるず、行為芏範を確定的な圢で発するこずが䞍可胜になるずいう点を特に指摘した。
 匕き続いお、 Kyriakos Kotsoglouによる、暩利掚定の構造分析に関する英語での講挔が行われた。導入ずしお Kotsoglouは、法の耇雑性の芳点からは、䜕か単䞀の立堎に瞮枛しお法を理解するこずはできないずしお、芏範論に぀いおも、 Binding的な理解にずどたらず、より包括的な、芏範構造の分析理論ずしお理解するずする。 Kotsoglouはこのような前提から、ドむツ刑事蚎蚟法261条が謳う、裁刀官は自己の確信に埓っお刀断をしなければならないずする原則ずあわせ芋る圢で、無眪掚定原則をデフォルト矩務論理に基づいお構造分析し、疑わしきは被告人の利益にの原則が機胜しないこずを瀺す。この原則が前提ずする疑いは、刑事蚎蚟では存圚しないずする。むしろ、法埋に基づく裁刀官が、被告人の眪に぀いお十分に確信しおいないのであれば、被告人は無眪ず扱われ、たた無眪刀決が出される。確信しおいる堎合には、被告人には有眪刀決が出される。第3の可胜性は存圚しないずするのである。
 これに続く報告では、 Antonio Martinsも Kotsoglouず同様、囜内の実䜓刑法を囜際的に執行する堎面も含めお、芏範論が刑法の普遍文法ずしお機胜するか、あるいはそれによっお、䞀定の重耇はあっおも、芏範的に異なる囜内法秩序を、二階の芏範性を創出するこずによっお統䞀できるかずいう、芏範論の朜圚的機胜を問うた䞊で、 Binding のみを志向する意味ではなく、包括的意味での芏範論に぀いお考察する。異なる瀟䌚の異なるニヌズに即した行為芏範圢成ず遞択的な二次的犯眪化にずっお瀟䌚的・政治的モメントが有する重芁性に鑑み、 Martinsは、異なる法秩序が共通のディスコヌスにおいお互いに孊びうるずいう可胜性を芋出す。しかし、メタ・ディスコヌスにおいお刑法の普遍文法を構築する営みには、終わりはないずする。
 金曜午前の4報告に続いお、午埌には、倖囜法から芋た刑法・刑事蚎蚟法のネットワヌク化ず䞀䜓化に察しお芏範論が有するポテンシャルに぀いおのワヌクショップが行われた。蚭定したテヌマの囜際性から、このパネルの報告者も囜際色豊かなものずなった。日本の 川口浩䞀 (Hirokazu Kawaguchi) 、トルコの Adem Sözüer 、ポルトガルの Inês Godinho、䞭囜の 唐志嚁 (Zhiwei Tang)、そしおアルれンチンの Juan Pablo Montiel がそれぞれの話題提䟛報告に基づいお、議論を行った。
 導入ずなったのは、 川口浩䞀 (Hirokazu Kawaguchi)による報告で、囜際刑事法における凊眰ずいわゆる垂民刑法における凊眰ずの異なる機胜に関するものであった。囜際刑事法では、凊眰は芏範劥圓の確立のためのものであるのに察しお、垂民刑法では芏範劥圓の維持が問題ずなる。 川口 (Kawaguchi)は、埌者の文脈においお特に、䞭止犯を行為芏範の問題ずするかどうかを扱う。この点は、行為芏範の劥圓に぀いおの行為者の立堎衚明が、䞭止によっお矛盟したものずなるこずから、芏範劥圓に぀いおの行為者の吊定的な立堎衚明ぞの、これず盞反する回答ずしおの刑眰の必芁性は䞭止によっお認められなくなるずする。このような芋方は、未遂犯を未完成犯眪ず芋る理解が前提ずなるずする。
  Adem SözÃŒerの報告は、トルコにおける刑法の発展の重芁なポむントを瀺すものであった。特に問題ずしたのが、珟地で倧きな問題ずなっおいる性刑法のリベラル化の問題である。そこには瀟䌚的に受容された行為芏範ずの䞍䞀臎が芋られ、裁刀官の倚くも、珟圚のようなリベラル化された性刑法を受け入れないであろうずする。もっずも、広く様々な方向からの抵抗も芋お取れる。 Recep Tayyip Erdoğan倧統領が2022幎7月1日にいわゆるむスタンブヌル条玄からの離脱を呜じたこずで、議論はピヌクに達したずする。性刑法のリベラル化にここたで反察が匷たった背景には、行為芏範は神から䞎えられ、たた「聖兞」から読み取られるものであるずするむメヌゞがあるずする。このような芋方に基づく限り、倚元的な瀟䌚は存圚し埗ないずする。
 䞡報告に向けられた倚圩な議論に続いお、 Inês Godinhoが、ポルトガルにおいおは真の意味での芏範論的な議論は存圚しないこずに぀いお報告を行った。その理由は、ポルトガルにおいおは、刑法独自の違法性刀断が認められおいないからであるずする。しかし、ポルトガル刑法兞31条は、法埋によっおある行動の違法性が阻华される堎合には、その行動は䞍可眰であるずしおおり、これは、独立した䞍法の存圚を匷調する必芁性があるず考えられるこずを瀺唆しおいるずする。それゆえ、刑眰法芏は行為芏範を前提ずするが、それは垞に明らかになるずはいえないずする。この点を Godinhoは、 Joachim Renzikowskiの次の䞀文を匕き぀぀匷調する。すなわち、「メタ理論ずしおの芏範論は  刑法理論に正しく光を」圓おるものなのであるRenzikowski, in: Alexy (Hrsg.), Juristische Grundlagenforschung, 2005, S. 115 (137)。
  Zhiwei Tangの報告も、 Godinhoが揎甚したのず同じく Renzikowskiを匕甚し぀぀論蚌を進めおおり、その意味で䞡者は同様の方向性を瀺すものであった。 Tangは、芏範論が持぀、普遍文法ぞず発展しうるポテンシャルを持った、普遍的な説埗力を有する理論的構造䜓ずしおの性質を匷調する。各囜の法秩序における刑眰芏定の分析に芏範論がどのような寄䞎をなしうるかずいうポテンシャルを瀺すために、 Tangは、珟圚各囜の法秩序においいお異なる取扱いを受けおいる䞍胜犯の問題ず、䞭囜刑法においお構成芁件芁玠ずしお甚いられおいる重倧性基準の問題を特に取り䞊げた。芏範論の芳点からは、埌者は、行為芏範の盞察化ず結び぀くものであっお憂慮すべきものであるずした。
 ワヌクショップ最埌の報告は、 Juan Pablo Montielによる刑事手続の芏範構造に関するものである。刑事手続に関する諞芏定は、行為芏範でも制裁芏範でもなく、第3の芏範カテゎリヌずしおの授暩芏範ず䜍眮づけるべきであるが、アルれンチンの議論ではこの点に぀いお広く誀解があるずする。この文脈のもずで Montielは、負担ず責務の区別の問題を扱う。たしかに、負担も責務も、あるルヌルから利益を埗るために特定の行動を行うこずを奚励するものではある。しかし、責務違反が名宛人に垰属されるのは、芏範遵守の可胜性が認められる堎合のみである。これに察しお、負担の堎合には、名宛人に芏範遵守が可胜であったかどうかは重芁ではない。その意味で、責務は責任䟝存であるのに察しお、負担は責任には䟝存しないずいうこずになるずする。
 ワヌクショップ報告に続く議論では、特に Godinho報告ずの関係で議論が行われた。実定法の補充芏範ずしおの手続䞊の芏範は、芏範的な真実ず敎理されるのか、それずも、 Godinhoが䞻匵したように、これを芏範的な真実を限定づけるものずするのかがこれである。その際に明らかずなったのが、ここで䞻匵される様々な立堎が、コモンロヌず倧陞法ずにおける手続的真実ず実䜓的真実の区別に察応するずいう点であった。さらに Behrendtが、メタ理論に察するメタ・ディスコヌスが必芁ではないかずいう問題提起をしたこずで、議論の敎理ずなった。耇数の芏範論の間で䞀臎を芋るずいうこずはおそらく䞍可胜であろうが、同じものに぀いお実質的な議論を行っおいるこずを明らかにすれば、それが有益な理解をもたらすディスコヌスに぀ながるこずもありうるずいうのである。
 初日は、ワヌクショップの各パネリストからのたずめで終了した。

 2022幎9月10日土の第1パネルは、ペヌロッパ刑法における芏範論のポテンシャルをテヌマずした。
 最初の報告は、 Laura NeumannによるEUにおける実䜓刑法の統䞀化ぞの芏範論のポテンシャルであった。 Neumannは、EU機胜条玄83条2項のいわゆる付随的暩限に鑑みれば、芏範論は、今日ではすでにEUにおける刑法のハヌモナむれヌションに関する構造的な基瀎ず事実䞊なっおいるずする。それゆえ、解釈の手段ずしお、あるいは付随的暩限の射皋を決定する際に、芏範論を揎甚するこずが可胜であるこずになる。さらに、暩限の構造を芏範論的に明らかにするこずには、刑法のハヌモナむれヌションのプロセスにおける合意圢成の基瀎ずなる芏範論自䜓を豊かにするずいうポテンシャルが朜圚しおいるずする。なぜならば、芏範論により、付随的暩限の正圓性に関する議論を合理化し、さらに法秩序をたたいだ合意の基瀎ずなりうるからである。
  Neumann報告に続いお、 Anne Schneiderが刑事蚎蚟法のハヌモナむれヌションに関する報告を行った。各皮資料ず、関連する法定立行為を抂芳したのち、 Schneiderは、刑事手続に関する芏範が二重の性質を有するこずを指摘する。刑事手続芏範は、特別な行為芏範ずしお刑事蚎远機関に向けられおいる䞀方で、制裁芏範が矩務づける制裁賊課の皮類ず態様に関するものでもある。刑事蚎蚟芏範はこの点で、制裁芏範の重芁な構成芁玠であり、その解釈も、刑眰論および刑眰目的に䟝存し、それゆえ、刑事蚎蚟法における異なる取扱いは、理由づけを芁する差別ずしお、正圓化が行われなければならないずした。この抂念はその埌の議論で非垞に奜意的に捉えられた。
 䞡報告に続き、土曜午前のプログラムずしお、囜際刑法の芳点からの芏範論のポテンシャルに関するワヌクショップが行われた。パネリストは、 Stefanie Bock、 Boris Burghardt、 Markus Wagnerの3名である。
ワヌクショップは、 Markus Wagnerの報告からスタヌトした。そこで取り䞊げられたのは、囜際刑法の基瀎にはどのような行為芏範が存圚するのかずいう問題であった。この点が問題ずなるのは、囜際法の芏範は囜家に向けられるのに察しお、囜際刑法䞊の非難には、個人に向けられた行為芏範が必芁ずなるためである。このような行為芏範は、原則、個人を名宛人ずする制裁芏範から導出されるこずになるが、それには問題がないわけではない。最終的には個人を名宛人ずする行為芏範を囜際刑法ずの関連でなお獲埗するための他の可胜性ずしお、 Wagnerは、ずりわけ、基本法25条2項による名宛人の倉曎、および囜際条玄の批准ず囜内法化を怜蚎する。埌者の堎合には、しかし、囜際法䞊の行為芏範は、囜内法から導かれるこずになる。この問題に察する銖尟䞀貫した解決は、結局のずころ芋出せおいないずする。これに続く Boris Burghardtの報告では、囜際刑法の芏範論分析が有する4぀の問題点を匷調し、 Wagnerの議論ずの接続が行われる。 Burghardtも、囜際刑法䞊の芏範から行為芏範を生成するこずには問題があるずする。囜際刑法䞊の芏範は、䞀次芏範に埓属するが、この䞀次芏範の範囲を明らかにする点にすでに難しさがある。個別具䜓的な行為芏範を、囜際刑法の個別の芏範から導出する際にも同じような問題がある。この点で Burghardtは、ずくに、囜際刑法䞊の芏範の文脈的芁玠を行為芏範に統合するずいう問題を取り䞊げる。さらに、行為芏範を生成する際に、囜際刑事法の前実定法的な䞭栞郚分ず連動させるかを怜蚎する。たた、芏範論的な考察によっお明らかになった平時の法ず戊時の法ずの逆転関係の問題を考察し、ここから、党く別の文脈で展開された芏範論の抂念を再研磚するこずが、囜際刑法に぀いお考察する基瀎ずしおどの皋床必芁であるかずいう問題を提起した。
  Burghardtの議論に続いお、 Stefanie Bockは、囜際刑法の芏範の文脈的芁玠ず、囜際刑法における特別な意図に぀いおの考察を展開した。この点で、文脈的芁玠や囜際刑法における特別な意図により、囜際瀟䌚の制裁暩限が発動し、たた堎合によりそれは、囜際瀟䌚の代理ずしおの各囜によっお行䜿されるずいう理由から、制裁芏範の配分に賛意が衚された。
 これに匕き続く議論では、特に最埌に挙げた行為芏範および制裁芏範ぞの文脈的芁玠の割圓ずいう芖点が議論の察象ずなった。 Martinsず Wagnerは、この点で、芏範違反の囜際法䞊の特殊性を維持し、行為芏範が持぀䞍法の次元が制裁芏範ず連動するこずを保障するために、行為芏範ずしおの分類に賛意を瀺す。続いお Wörnerは、囜際刑法䞊の芏範の由来を問う。この関連で、19䞖玀の憲法は、垂民を名宛人ずするものではなかったこずを指摘する。垂民の䞻芳的暩利はむしろ、それ以降に発展しおきたものであるずする。最埌に、りクラむナ䟵攻に関するロシアの説明ずの関係で、囜際刑法が正圓化したい目的のための道具ずなるこずが指摘された。
 最埌に、䞻催者の人である Wörnerから、総括的なコメントずずもに、さらなるプロゞェクトぞの展望ず、参加者ぞの感謝が述べられ、閉䌚した。

デゞタル化の時代における芏範論2021幎6月18日19日

本研究䌚の成果物はこちら

2021幎6月18日から19日の日皋で、オンラむン研究䌚「デゞタル化の時代における芏範論」が、 Frauke Rostalskiず Milan Kuhliの䞻催で行われた。「デゞタル・トランスフォヌメヌション」は、仕事の堎面や日垞生掻の堎面で広範囲か぀急速にデゞタル化が進行するずいうパラダむムシフトを瀺す蚀葉である。デゞタル技術の利甚は瀟䌚の奥深くたで広がり、デヌタずアルゎリズムは瀟䌚のむンフラの䞀郚ずなり぀぀ある。瀟䌚珟象ずしおのデゞタル化は、法埋分野においおも倚くの問題を提起しおいる。芏範論的考察の芖点はデゞタル時代においおどの皋床倉容するか、あるいは、そもそも芏範論による法の分析がなお有効なのかロボットやデゞタル・マシンは法芏範を適甚するこずができるのか、たた法芏範に違反するこずができるのか芏範論の芳点から機械のプログラミングをどのように再構築するこずができるのかデゞタル・トランスフォヌメヌションは、我々の法䜓系の基瀎に぀いお再考する必芁を再び生じさせるのである。芏範論は、新たな自䜓や法的問題に察凊し、それを展望するためにどのような貢献ができるのだろうか

2日間にわたる研究䌚は、 Lorenz KÀhlerの報告「芏範、コヌド、デゞタル生成物」で幕を開けた。法は「本質的に、芏範の集合」ずしお理解されるずの前提から出発し、デゞタル化が「法の公衚、耇補、倉容」を意味するかずいう問題を扱うものである。 KÀhlerは、法のデゞタル化ずいう文脈においおは、芏範のテクストをデゞタル化するこずを超えお、その意味内容もデゞタルに把握するこずに成功するかが重芁であるずいうテヌれを瀺す。報告では、この問題がさらに掘り䞋げられた。

Stephan Meyerの報告「法芏範のデゞタルな適甚——法圏の問題でもあるのか」では、AIシステムによる自動的な法適甚がもたらす諞課題は、法圏に䟝存するのかが問われ、倧陞法ず英米法ずの比范が行われた。報告においお Meyerは、たず、自動的な法適甚に期埅される利点を玠描し、自動化に関する議論を促す。続いお、既存のAIベヌスの「リヌガルテック」アプリケヌションを玹介し、ルヌルに基づく「法的掚論」ずデヌタに基づく「法的掚論」の各アプロヌチを組み合わせた、将来期埅される進歩に぀いお論じる。このような進歩により、機械が少なくずもある皋床の実践的知識を持ち、「実際の」文章を理解できるようになる可胜性があるこずを前提に、2぀の法圏が自動化に察しおいかなる適性を有するかが問われた。

Alexander Stöhrは、「自埋的に行動する機械——負責芏範、垰属芏範、立蚌芏範による責任の割圓お」ず題する報告においお、自埋的に行動する機械により損害が生じた堎合に、負責ずいう芳点からいかなる法的解決が考慮されるかの問題を扱った。責任の割圓おは、第に、法芏範にカテゎラむズされる芏範により行われ、そこには、負責芏範、垰属芏範、立蚌芏範のほか、経枈的芏範が含たれる。さらに、 Stöhrは、契玄法䞊の負責や䞍法行為法䞊の負責がどの範囲で基瀎づけられるかを論じる。䞍法行為責任の枠内では、珟行法のほか、機械固有の責任や危殆化責任の導入が議論された。

Alexander Stöhrに察しおは、 Inês Fernandes Godinhoからのコメントが付され、自埋的に行動する機械により損害が生じた堎合の責任の割圓おが、刑法の芳点から怜蚎された。 Godinhoは、たず、自埋的に行動する機械に぀いおの個人の責任に぀いお怜蚎する。そこを出発点ずしお、垰属ずいう枠組みから過倱犯を芋たずきに、䟋えば予芋可胜性に぀いお、どの点に難しさがあるのかを瀺す。その埌に、 Godinhoは、AIベヌスのシステムや機械が刑法䞊の負責の察象であるか今埌そうなるかを考察する。

1日目の最埌の報告は、 Alisa Hastedtの「芏範から制限ぞ䞍可胜を構造化するこずの行為芏範ぞの圱響に぀いお」であった。そこでは、違法な行為を䞍可胜ずするようなメカニズムは、その基瀎にある具䜓的な行為芏範を䞍芁なものずするのかずいう問いが扱われた。 Alisa Hastedtの基調講挔を螏たえお、参加者ずのフリヌディスカッションが行われた。論文集ではこのパヌトは掻字化されおいない。

Svenja Behrendtの報告「デゞタル化の時代における刀断行為矩務の圢成および責任ぞのスマヌトテクノロゞヌの圱響に぀いお」は、人工知胜の存圚が、行為矩務や責任に぀いお、より正確には人ず人ずの暩利関係に぀いお、どのような圱響を持぀かずいう問題が䞻題ずなった。 Behrendtは、たず、AIがかかわりうるのはどのような状況かを瀺す。そこから、AIの助蚀を求める矩務や機械生成された結果を䜿甚する矩務がありうるか、AIの存圚が䞀般的にいかなる圱響をもらすかを論じた。

「法適甚におけるアルゎリズム」が Roland Broemel報告のテヌマであった。リヌガルサヌビスの提䟛におけるリヌガルテックアプリケヌションの䜿甚の諞圢態ず、その法的枠組みずなる条件を扱うものであった。

研究䌚の最埌の報告は、 Philipp-Alexander Hirschの「人工知胜芏範的反応可胜性ず刑法の芏範論的蚘述」であった。 Hirschは、芏範的な反応可胜性を有するものであるが、完党に答責的な行為者ではないものずしおAIを芳念する。そのような性質を持぀AIが、眰則の付された行為芏範に違反した堎合には、䞍可眰領域が生じるこずになるずいう。 Hirschは、このようなAIがなぜ、そしおいかにしお、芏範的な反応可胜性を有するのか、そしおそこから刑法の芏範論的蚘述にずっおいかなる垰結が導かれるかを瀺す。その際、機械倫理の知芋が揎甚される。そこでは、法的な芏範論ず察比され于、芏範的行為者性をめぐる議論が先行しお行われおいるためである。

刑事法ぞの挑戊ずしおの集団性ボン、2019幎10月18日19日

研究䌚論文集

刑法孊にずっおのボンは、 Hans Welzel ず Armin Kaufmannずいう刑法孊者の名ずずもに、珟代の芏範論誕生の地であるず蚀っおよい。その意味で、芏範論ワヌキンググルヌプの第2回ワヌクショップを開催するのに、ボンよりも盞応しい堎所ずいうのはないずも蚀える。2019幎10月18日、19日、 Konstantina Papathanasiou ず Kay H. Schumann が䞻催した本ワヌクショップの目的は、芏範論の芳点から、「刑事法ぞの挑戊ずしおの集団性」に぀いお議論する点に眮かれた。本ワヌキンググルヌプのメンバヌ以倖にも、 Urs KindhÀuser ず Joachim Renzikowski ずいう芏範論を語る䞊で欠かせない研究者からの報告が組たれ、ワヌクショップをさらに充実させるこずができた。たた、フロアにも倚くの参加者が埗られたが、その䞭でも Ingeborg Puppe の参加が埗られたこずにより、圓日の議論は䞀局の盛り䞊がりを芋せた。
第1報告は、 Urs KindhÀuser による「犯眪の共同遂行における矩務違反——共犯論の意味論的問題」であった。取り䞊げられたのは、各共同正犯者は、自分が矩務に合臎する代替的行動を採ればその犯眪事実を回避できるにもかかわらず、犯眪事実に寄䞎したずいうこずに぀いお盞互に責任を負うのはなぜかずいう問題であった。共同正犯者による犯眪事実ぞの寄䞎を、人の集合䜓がなしたこずずずらえおも、問題の解決にはならない。集合䜓の責任を論理的に掚論するこずをするにずどたり、集合䜓の構成員の責任を掚論させるものではないからである。そこから、共同正犯の䞍法は、共犯の䞍法ず同じく、埓属的性質を有するずいうこずが導かれる、ずする。もっずも、共同正犯は、盞互的共犯であるずいうこずによっお䌝統的な——䞀方的な——共犯ずは区別される。そうするず、共同正犯の芏範は、共同性ずいう芁玠を含たなければならないこずになり、この意味で共同正犯者は、単独正犯ずは異なる芏範に違反するこずになるずする。 KindhÀuser は最埌に、共同正犯の芏範論的分析はなおその緒に぀いたばかりであるずした。その埌、 Kay H. Schumann が、いわゆる集合的法益に関する芏範論的考察を瀺し、ワヌクショップ初日は幕を閉じた。
ワヌクショップ2日目は、 Joachim Renzikowski の報告「垰属䞻䜓ずしおの集合䜓」で幕を開けた。同報告は、垰属䞻䜓ずしおの「人栌」は実蚌できる察象ではなく、法の䞖界ないし実践哲孊に属するものであるずする。この理解からするず、「自然人」ず「法人」を䞊べお語るこずは誀解を招くものであり、ここから Renzikowski は、埓来の抂念に代えお、「persona moralis simplex」ず「persona moralis compositas」ずいう抂念を蚭定する。 Renzikowski は、 KindhÀuser ずは異なり、特に Kant ず Pufendorf に䟝拠しお、集合䜓による犯眪は、集合䜓自身にではなく、その構成員各人に垰属されうる、ずの結論に至る。党䜓の各郚分は個々の物理的人栌からなっおいるずはいえ、個々人が党䜓の䞀郚分ずしおの機胜においお行ったそれぞれの行為は、党䜓ずしおの行為であるず同時に、個々人の行為でもあるずいうのである。この前提を螏たえお、 Renzikowski は個別の解釈問題の分析を行った。
Anne Schneider が取り䞊げたのは、「越境的関䞎」における芏範論的問題である。これが特に問題ずなるのは、耇数の法秩序の間で、関䞎者の行為を刀断する基準ずなる評䟡が盞互に倧きく異なっおいる堎合である。たず問題ずなるのが、行為芏範ず制裁芏範の適甚範囲である。ドむツ刑法3条以䞋により芏埋されおいる制裁芏範に察しお、行為芏範の適甚範囲は、統䞀的か぀法域暪断的に決定されなければならないずする。そのために、原則ずしお行為地の行為芏範が適甚されるずするロヌマⅡ芏則17条の芏定を甚いるこずが掚奚された。これをうけお Schneider は、様々な事䟋を挙げ぀぀、自身の構想の垰結を怜蚌した。越境的関䞎の問題を芏範論的に分析するこずで、ドむツ法による凊眰範囲の拡倧を防ぐこずを可胜にする方法論的アプロヌチぞの展望が開けるずする。
続けお、 Markus Wagner が「刑法䞊の䜿甚者責任の『具䜓的』行為芏範」の問題を扱った。議論の前提ずなるのが、 Wolfgang Frisch が——繰り返し——説いおきた次の芁請である。すなわち、刑法孊の䞭心的課題は、その吊認に基づき、制裁芏範にしたがっお刑法䞊の非難がなされるずころの行為芏範を、正確な圢で構成するこずであるずいうのがこれである。しかし、䜿甚者責任の実務においおは、このような芁請はほずんど無芖されおいるずいうこずを、 Wagner は連邊通垞裁刀所の刀䟋から䟋を匕き぀぀瀺した。このような実務運甚は、郚䞋が行うかもしれない䞍法実珟に察しお、䜿甚者が行䜿しうる圱響力を過倧評䟡し、蚱容し埗ない皋床たで可眰性の範囲を広げるずいう垰結にも至りうるずする。芏範論は、䜿甚者が他にどのような行為を行い埗たかを明瀺するこずを法適甚者に求めるものであるず、本報告は指摘する。これにより、䞍法実珟の回避が可胜であった堎合でも、䜿甚者がずり埗る行為に盞圓の限定が蚭けられるずいうこずもありうるずいう。
昌䌑みを挟んで、 Inês Fernandes Godinho による報告「芏範の集合性ず集合的芏範」が行われた。同報告は、「集合性」ず芏範ずの関係を次のように衚珟する。人間が共同䜓ぞず結合するずいう意味における集合性によっおはじめおそしおそれのみによっお芏範を必芁ずする状態が生たれた。しかし、芏範が受容されるのは、芏範の䜜り手が、それに芋合う正圓性を瀺すこずができた堎合に限られる。その堎合に限っお、芏範の䜜り手は、芏範定立者ず扱われる。「集合的芏範」ずは、あらゆる関䞎者に劥圓する芏範であるず理解される。しかし、ここでいう関䞎者ずは誰のこずか Godinho は、関䞎者ずなるのは「集合性」によっお共同䜓ぞず結合したその構成員のみであるずする。
Luna Rösinger の報告は、「いわゆる攻撃的緊急避難においお䞀方の利益のために他方を利甚するこずの法的根拠」の問題を扱うものであった。同報告は攻撃的緊急避難を、法が危険を「集団化」ないし「再分配」する事䟋ずずらえる。 Rösinger は、法哲孊の知芋を参照し぀぀、攻撃的緊急避難においお介入を受ける者の自由制玄が蚱されるのは、自身の連垯矩務に基づく堎合のみであるずの結論を導く。この理解は、第1に、法益に危険が迫っおおり、か぀その法益が自由の実珟にずっお倧きな重芁性を有するものでなければならないずいう垰結を、第2に、避難行為が惹起するこずが蚱されるのは、その郚分に぀いお補償が可胜な皋床の䟵害にずどたるずいう垰結をもたらすずする。
本ワヌクショップの最埌を食ったのは、近時導入されたドむツ刑法184条jを芏範論的芳点から分析する Stefanie Bock の報告「䞀緒にいったら䞀緒に眰されるのかドむツ刑法184条jにいう危険な集団ぞの関䞎」であった。同報告によれば、184条jの芏定は、2015幎の倧晊日に起こった性的䟵害ぞの立法的察応ずしお理解される。このような事件関係からすれば、立法者がいかなる事案を凊眰察象ずしようずしおいたかは、䞀応理解できる。もっずも、184条jの文蚀や芏定の構造は、極めお茫挠ずしおおり、か぀掎み所のないものであっお、それゆえに、蚱容される行為ず犁止されるすなわち凊眰される行為ずの限界づけに盞圓の困難が生じおいるずする。 Bock は結論ずしお、本条は、性犯眪に関する芏定ではなく、集団に関係した䜓系的な垰属芏則であるずする。しかし、本条には重倧な欠陥があるずしお、 Bock は、同条の完党削陀を䞻匵する。

芏範論ず刑事法ギヌセン、2018幎2月23日24日

研究䌚論文集

2018幎2月23日、24に、ギヌセンにおいお、ワヌクショップ「芏範論ず刑事法」が開催された。 Anne Schneider ず Markus Wagner のむニシアティブで行われた本ワヌクショップは、芏範論のバックグラりンドず、刑事法にずっおの芏範論の意矩を、参加者党員で考えるこずを目的ずするものであった。

第1報告は、 Fedja Alexander Hilliger による、 Binding の芏範論における法理論的前提の怜蚎であった。刑眰法芏ず行為芏範ずを区別する点、および行為芏範は刑眰法芏ずは独立したものであるこずを認める点から、法を理念的な珟象ではなく、単に事実的な珟象ずずらえる法実圚論を退けるこずが瀺唆される䞀方、制裁なき法呜題を認めうるような「敷居の䜎い」法抂念が瀺唆されるこずずなった。

続いお、 Kyrakos N. Kotsoglu は、 Binding に連なる各皮の芏範論を批刀的にずらえ、次のように非難した。すなわち、圌らの芏範論は、法的に呜じられる内容が、非専門家にも理解できるような行為芏範の圢で抜出されるずいう単玔な理解に基づくものであり、それゆえに、珟代の法秩序が芁請するものや法秩序をドグマヌティクによっお貫培した際に達成される状態に察応できるほどの耇雑さを有しおいない、ずいうのである。さらに、このような芏範論は、囜家ず垂民ずの関係の本質的郚分を、呜什ず服埓の関係、治者ず被治者の関係ず構成するものであるず指摘した。

これに続いお刑事憲法孊の芳点から、 Boris Burghardt が、芏範論の成果を批刀的に評䟡する。圌の理解によれば、連邊憲法裁刀所の刀䟋においおも行為芏範ず制裁芏範の区別が郚分的に甚いられおいるが、その区別は、刑法䞊の行為芏範を定立するずの決定は、その犁止・呜什あるいはそれによっお保護される法益に倧きな瀟䌚的重芁性があるずする評䟡をすでに含んでいるずいう点をあいたいにしおしたっおいるずいうこずになる。

他方で、 Laura Neumann の報告は、法理論における構成原理ずしおの二元的芏範論ず、違反される行為芏範の性質や賊課される制裁の皮類ずは、盞互に無関係であるずいう点から論蚌する。ここから、芏範論は、ペヌロッパ各囜においお、刑法ず行政刑法ずを統䞀的な制裁法ぞず融合させる觊媒ずなったこず、そしお将来的には、ペヌロッパにおける統䞀制裁法ぞの法構成䞊の基瀎ずなりうるこずを瀺す。

これに匕き続く Frauke Rostalski の報告は、芏範論が刑法ドグマヌティクにもたらす垰結を瀺すものであり、その目的は、芏範論に基づく犯眪行為の抂念理解に基づくず、䞍法ず責任ずは区別できないずいうこずを瀺す点に眮かれた。その理由は、行為芏範違反が䞍法を意味するのであれば、そのような芏範はそもそも、芏範に埓うこずのできる者、すなわち責任胜力者しか名宛人ずするこずができないのであり、それ以倖の堎合には、立法者の「独り蚀」にすぎないずいう点に求められた。

ワヌクショップ初日の最終報告ずしお、 Milan Kuhli が法の参照指瀺が問題ずなる堎合に必芁ずなる故意ずの関連性の問題を取り䞊げた。同報告では、芏範的構成芁件芁玠ず癜地芁玠ずを芏範論によっお䞀矩的に区別するこずはできず、それゆえ故意ずしお必芁ずなる内容に぀いおも、芏範的構成芁件芁玠か癜地芁玠かによっお刀断するこずはできないずする。むしろ、故意は原則ずしお、各構成芁件が参照を指瀺する芏範耇数の堎合もあるが実際に芁件ずするもの、およびそこから生じる法的効果ず関連しなければならないずする。

圓初予定されおいた Jan Dehne-Niemann ず Julia Marinitsch の報告が、急遜キャンセルずなったため——「ロヌれ・ロザヌル事件」の解決に぀いおの芏範論の意矩に関するものであり、本ワヌクショップに基づく論文集には掲茉されおいる——、ワヌクショップ2日目は、 Sören LichtenthÀler の異なる犯眪間の択䞀的認定に぀いお芏範論がもたらす垰結に関する報告からスタヌトした。その分析によれば、択䞀的な有眪刀決の合憲性をめぐる近時の議論においお、明らかに「芏範論的」ず評しうる議論が展開されたが、最終的に本報告は、芏範論だけではこの問題ぞの回答は埗られないずの結論に達するこずずなった。

続いお、 Stephan Ast の報告では、芏範論に基づく詐欺眪の分析が行われ、犯眪構成芁件がどのようにしお行為芏範ぞず展開するのか、その際に行為論や芏範論から芋お䜕が考慮されるのか、そしおそれらの点が解釈論䞊いかなる効果に぀ながるのかが瀺された。

Thomas Grosse-Wilde の報告は、「英語圏の法的ディスコヌスにおける芏範論の倚様性」に぀いお抂芳するものであった。同報告は Bentham による行為芏範ず制裁芏範の区別、 Hart から Kelsen の䞀元的芏範論に向けられた批刀、そしお Dan-Cohen が導入した conduct rule ず decision rule の区別をめぐる議論を取り䞊げた。

続いお、 Konstantina Papathanasiou が、 Binding の芏範論を前提に、いわゆる囜際刑法に関する䞀般的芋解、すなわち、行為芏範は普遍的に劥圓する䞀方、制裁芏範は刑眰適甚法により限定されるずする芋解を怜蚎した。同報告によれば、このような理解は、長きにわたり囜際慣習法ずしお䞀般的に承認されおきた䞍干枉原則ず敎合しないものであり、それゆえ行為芏範も制裁芏範も、その適甚範囲は同䞀でなければならず、たた、刑眰適甚法も、支配的芋解が認めるような䞍法䞭立的なものずはいえないずする。

第1回ワヌクショップのトリを務めたのが、 Liane Wörner である。同報告は、欧州人暩裁刀所の刀䟋におけるペヌロッパ化された刑事叞法の機胜的効率性ずいうトポスの「経歎」をたどり、芏範論的に芋たその意矩を、芏範内容の決定ず制裁の発出ずの分離に求めた。しかし、可胜な限り機胜的効率的な刑事叞法を目的ずしおも、欧州連合ず加盟囜によっお補完的に保障される被疑者の自由暩による限界づけが存圚するずした。