16.07.2024

Prof. Dr. Heng-da Hsu (許恒達)

規範論的観点から見た原因において自由な行為について

刑法理論において、「原因において自由な行為」の事案処理は今なお問題である。ドイツおよび台湾における支配的見解は、前倒し説、すなわち犯罪遂行と責任非難の同時存在原則を、放棄し得ない刑法上の原則とする理解を支持している。しかしながら、原因において自由な行為に特有の構造から、「構成要件該当行為」の時点を、酩酊状態において行われた行為から、酩酊する行為へと「前倒し」することができるというのである。これに対して、 Hruschka によって提唱され、 Neumann Kindhäuser によって展開された例外モデルがある。これによれば、同時存在原則の例外が認められることになる。行為者の可罰性は、後の酩酊状態下における構成要件該当行為に直接結びつけられるが、同時存在原則の例外として、犯罪遂行の時点で責任能力を肯定するというのである。
報告において Hsu は、行為義務と責務の区別から、「修正された例外モデル」を追求する。これによれば、「類型的に構成要件に該当する」所為の実行のみが構成要件的行為不法を基礎づける。責務は、法益保護の間接的要請から生じる。欠陥状態に自らを置くといった責務違反は、行為義務違反の時点に間接的に作用し、これによって行為者は、元々この時点で妥当していた刑法上の不処罰を主張できなくなるのである。
台湾は、2005年に、 台湾刑法19条3項 において、原因において自由な行為に関する明文規定を導入した。台湾の立法は、明らかに例外モデルの方向に進んでおり、これは基本的に正しいアプローチであると見ることができる。もちろん、これには規範論の観点から、教義学しての明確さを与えることが必要になる。どのような状況であれば「責務違反」が認められるか、そこから責任能力の欠如の援用不可能性という法効果を導くことができるかが、中心的な問題となる。 Hsu の理解によれば、責任無能力にかかる免責事由の援用不可能性には2つの要件がある。
(1)酩酊する行為と「欠陥状態」との間の客観的因果連関
(2)主観的責任連関:行為者は故意に、かつ責任無能力状態で一定の構成要件該当行為を遂行する意図で、欠陥状態を惹起しなければならない
というのがこれである。
この場合にのみ、修正された例外モデルの要請が充足され、その結果、行為者は、責任能力についての異議を申し立てることが禁じられ、また法的評価により完全責任能力が取り戻されることになるのである。

19.07.2023

Dr. Pepe Schladitz

規範論と故意犯

行為規範と制裁規範とを区別する Karl Binding以降の二元的規範論は、過失犯の文脈にその理論的な重点が置かれ、議論されてきた。これに対して、 Pepe Schladitzの報告は、故意概念および故意の体系づけに対して規範論がどのような体系的・理論的帰結をもたらすかに重点を置くものであった。 Schladitzは、まず、私見となる規範論上の構想を示す。この構想は、通説である客観的帰属論の規範論上の下部構造を批判的に分析することで得られたものである。これによれば、行為規範は危険惹起禁止と解釈されるが、どのような行為が要求されることになるかの基準については通説と異なり、客観的通常人ではなく——人的不法論からの帰結として——具体的な個人であることになる。ここから Schladitzは、個人化された一段階の過失概念を導出する。これに対して故意犯の基礎には、過失犯とは質的に異なる1次的行為規範があるとし、このことから、いわゆる二分説を是とする。 Schladitzは、このテーゼを強調するに際し、不能未遂の可罰性の問題と正当化事由にかかわる事実の錯誤が回避不可能な場合という、通説の解決に問題のあるテーマを援用する。続いて、 Schladitzは、自身の故意概念からの体系的な帰結を素描する。 Frischにならい、故意の対象を禁止の次元における態度であるとすることから、白地刑罰法規の場合であっても、責任説が維持されるとする。最後に Schladitzは、侵害の故意と危殆化の故意とは同一であるとする。ドイツ刑法315条d第2項、第5項を起草した立法者の見識は疑わしいものであるとする。

参考文献として、 Schladitz, Normtheoretische Grundlagen der Lehre von der objektiven Zurechnung – Sicheres Fundament oder Achillesferse?, 2021; ders., ZStW 134 (2022), S. 97

14.02.2023

Dr. Svenja Behrendt

不可能な未遂についての考察:刑法理論における不可能なものの概念の取扱いと構成主義・ディスコース理論による法理解のポテンシャル

 本報告では、刑法理論における不可能なものという現象について、これを概念上どのように取り扱うかが扱われた。中心となるのは、行為の企図が事実として、意図した結果を惹起しない、あるいは法的理由から刑法上の重要性を全く欠く行為企図であるような場合であるにもかかわらず、刑法上の不法への非難が正当化されるのは、どのような状況においてか、という問題である。 Svenja Behrendtは、理念型として、不法の基礎づけに関する種々のアプローチを対象とし、厳格な客観的アプローチ(決定論的な世界像に基づく客観性)、ゆるやかな客観的アプローチ(判断基準となる主体として客観的第三者を仮定する行為規範の「客観化」)、そして主観的アプローチを区別する。そこから、なぜいずれのアプローチも説得的でないのか、そして、なぜ支配的な主観・客観混在アプローチには、議論を支えるだけの理論的基礎が認められないのかを示す。
  Behrendtの中心的な主張は、真の問題は、法の理解と行為規範の構想の仕方にあるというものである。専門的議論においては、単一の規範概念を認めることから距離を置くべきであると Behrendtはいう。構成主義・ディスコース理論に基づく法理解を基礎とすると、刑法上議論されているあらゆる事例においては、刑法上の行為規範の違反が存在しており、そこで全面に出てくるのは、刑法上の行為規範を破ることに向けられた意思の活動に対して、コミュニケーション的に対応しなければならないのか、そうだとすれば、それは特定の形式でなされなければならないのかという問題であるということが明らかとなるとする。観察する者/判断する者としての解釈者(例えば、検察官や裁判官)が 抽象的な行為規範との関係で、行為者の考えを共有しないという場合には、原則として、コミュニケーション的な対応を行う契機が存在しない。これに対して、解釈者が——行為者と同様に——特定の結果を惹起すること(例えば、人を殺すこと)を刑罰で禁止されているという点を認めており、ただし、その抽象的な規範が、 具体的な行為企図を禁止していないと考えていたに過ぎないのであれば、状況は異なることになる(特に、迷信犯がこれにあたる)。

参考文献として、 Behrendt, ZfIStw 2023, 20

26.08.2022

Prof. Dr. Juan Pablo Montiel

Verantwortungsstrukturen und anomale Kontexte(答責構造と変則的文脈)

Juan Pablo Montiel が特に主張するテーゼは、刑法ドグマーティクは、故意既遂犯以外の場面における刑法上の答責性の認定に重大な問題を抱えているというものである。すなわち、通説は、故意既遂犯の規則をそれ以外の全ての文脈に同じように適用することで全ての事案を解決しようとしているというのである。問題を明確化するために、 Montiel は、「犯罪(Verbrechen)」と「答責構造(Verantwortungsstruktur)」を区別することから始める。そこでは、犯罪の概念は単一のものであるが、それが異なる構造において使用されるということが出発点となる。犯罪概念は、放棄不可能な2つの属性の結合からなる。1つが「規範違反」であり、犯罪行為を「当罰性」あるいは「不法」と結びつけるものであるのに対して、もう1つは(犯罪行為と責任への)「帰属可能性」である。
「犯罪」と「答責構造」の区別により、最終的に Montiel は、2種類の構造を区別する。メイン構造とサブ構造がこれである。メイン構造は故意既遂犯に対応する。これがメインであるのは、グローバルレベルで有力な立法技術にも反映されている歴史的な理由による。すなわち、 刑法典は、故意犯について、基本的条件が充足されなかった場合に答責性を負わせるための特別な規則を有する法典であるというのがこれである。それゆえ、未遂の規則および過失の規則は、故意既遂犯の規則の例外として現れる。しかし、まさにこのことが示すのは、全ての構成要件要素が充足されていない場面では、メイン構造はサブ構造によって補完される必要があるということである。講演において Montiel は、2つのサブ構造、すなわち、未遂犯のサブ構造と欠缺のある結果犯のサブ構造の存在を論証する。
Montiel は、未遂事例において刑罰を科すことが可能なのは、独立の犯罪行為が問題となっている場合であり、答責性の派生形式が問題となっている場合ではないと主張する。さもなくば行為者は、帰属の要件が充足されているが、規範違反が認められない事例においても処罰されることになってしまう。このような意味で Montiel は、このような難点を克服するために、未遂を承認する総論のルールは、ある行為が規範違反といえるために有さなければならない特性の記述を提供するとの結論を導く。
答責性の第2のサブ構造は、「欠缺のある結果犯(defektbehaftetes Erfolgsdelikt)」と呼ばれる。これは、原因において自由な行為、原因において違法な行為、過失犯等、行為者が構成要件的行為を、自ら招いた答責性欠缺状態で行う事例群をいう。これらの事例群で全ての構成要件要素が同時に存在するためには、答責性欠缺状態を引き起こした行為も含める必要があるが、その際には、その行為が、対応する構成要件の実現に、間接的につながりうるものであることが考慮される。
最後に、 Montiel はサブ構造どうしを組み合わせる可能性および組み合わせたことによって生じる帰結の問題を扱う。そのうち、伝統的な犯罪論の理解にとって特に重要となる2つの帰結が強調される。このような体系では、いわゆる「過失犯」の未遂の概念上の可能性が肯定されること、およびいかなる形式のものであれ「認識なき過失」には、刑法上の答責性は認められないことがこれである。

08.04.2022

Prof. Dr. Wolfgang Spohn

条件付規範による推論

まず、規範の語り方について、次のような基本的な違いがあることが示された。当為命題としての規範、定言的規範と条件付(=仮定的)規範、規範と規範の審級、黙示の規範妥当と明示の規範妥当、三人称視点から外的に観察した経験的事実としての規範、記述的なものに還元できない真正のものとしての一人称視点における規範などがこれである。以下では、最後の理解のみを取り上げることとなる。
第2に、法論理からの批判、すなわち法的三段論法を典型とする法的推論を、古典論理を用いて形式化しようとする試みを取り上げた。例を用いて、法的推論は原理的に非単調推論ないしは「論駁」推論であり、古典論理では扱うことのできない非単調条件法に基づいていることが示された。
第3に、定言的規範の論理に関する基本的な前提について簡単な紹介があった。それは、哲学的論理すなわち義務論理の一部であり、その標準的体系が構築されているものであること、信念論理(合理的信念の論理)と同じ構造を持つことがこれである。これらの論理はすべて、異論の余地のないものではないことは当然である。
第4に、条件付規範の論理への拡張の問題を扱った。このような拡張を行うには、1968年以降に発展した条件論理の問題に立ち入る必要がある。というのは条件論理においては法的推論の形式化のために必要となる非単調条件法が問題となるからである。この問題ではアプローチの多様化が進んでいるが、より重要であり、かつ Spohn も支持するアプローチは、いわゆる Ramsey テストと条件法の信念論理に基づく解釈とに基づくものである。
第5に、このようなアプローチが条件付規範の理解とその論理的把握に適したものであることが述べられた。加えて、このようなアプローチを真剣にとらえた時に法理論の自己理解に起こる劇的な帰結についても説明があった。しかし、それは真剣にとらえた場合の話である。古典論理に基づく従来の自己理解は、結局のところ不十分であったことが示される。
第6に、 Chisholm のパラドックスと呼ばれるものが問題となった。義務論理では、このパラドックスをどのようにすれば適切に扱えるかがなお不明確である。 Spohn は、このパラドックスを、あらゆる規範的言説に通底する(そして、 Spohn によればパラドックスの基礎にある)根本的な曖昧さを説明するために導入した。すなわち、(内的価値と外的価値の区別、「善それ自体」と「手段としての善」の区別に類似する)純粋な規範と事実に導かれる規範の曖昧さがこれである。条件付論理に関する Spohn の説明も同様に不明確であったが、しかし正確に読み解けば、その説明は純粋な規範にのみ関わるものであった。
第7に、(法の文脈ではほぼ常に問題となり、少なくとも法的三段論法においては問題となる)事実に導かれる規範の論理に達するためには何がさらに必要かについて、展望が示された。そのためには、 Spohn が40年をかけて発展させ、また広めてきたいわゆるランク理論に踏み込むことが不可欠となる。本講演は以下の「take-home messages」で閉じられた。

1. 古典論理は、法的論理には適していない。
2. 非単調条件法を研究せよ。
3. 純粋な規範と、事実に導かれる規範とを厳格に区別せよ。

参考文献として、 Spohn, RPhZ 2022, S. 5–38

20.01.2022

Prof. Dr. Juan Pablo Mañalich

構成的規則体系としての特性を持つ刑法上の制裁規範体系の閉鎖性

本報告は、刑法における法律主義の「閉鎖規則(Schließungsregel/residual closure rule)」としての性質を扱う。特に問題とするのは、法律主義について一般的に言われる特性、すなわち「刑法上禁止」されていない行為はすべて、「刑法上許容されているものとみなす」こととなる規則としての特性である。というのも、刑法上の制裁規範は—— Wesley Hohfeld の用語法に言う——規制的規則( regulative Regeln)に分類されるのが通常であるが、むしろ構成的規則( konstitutive Regeln)として、すなわち国家権力に向けられた処罰義務を立ち上がらせるものとして、理解されるべきだからである(このように理解すると、 Binding が、その主著『規範とその違反』の第2版ですでに、刑罰法規を、義務を基礎付けるに適した規範ととらえる理解から距離を置いた理由も明らかとなる)。

刑法上の制裁規範を構成的規則にカテゴライズする発想は、 Hart の規範論にも見られる。そこでは、法律上の制裁は、いわゆる2次的帰属規則(secondary rules of adjudication〔日本語では、通例、第2次ルールとしての裁定のルールと訳される〕)の下位の形態とされる。2次的帰属規則とは、対応する法体系を形作る規則の制度的な適用や執行の条件、形式、効果を具体化する構成的規則であると一般に理解されているものである。このような理解のもとでは、(刑法上の)制裁規範は、制裁賦課が予定されている義務に違反した場合にいかなる刑罰を科すかを具体化し、または少なくとも限界付ける規則であることになる。刑法上の制裁規範が適用可能となるのは、ある者の(帰属可能な)態度がこの規範の前提条件を充足しており、その者が特定の、 Hohfeld の言う拘束性(Verbindlichkeit/liability)に対応する制度的地位を占め、これに対応する地位が Hohfeld の言う実力(Macht/power)である場合である。これによれば、刑法上の制裁規範は構成的規則であり、これが要件の充足と刑法上の制裁を結びつけることにより、「刑罰の等価性(Strafäquivalenz)」(Binding)が生み出されるのである。

これでようやく、刑法上の法律主義がどの程度まで閉鎖規則であるかという当初の問題に立ち返ることができる。閉鎖規則により閉ざされうるような体系を形作る規則が一方にあり、閉鎖規則それ自体が他方にあり、両者は範疇論的に同質でなければならない。すなわち、特定の規則体系を閉じることのできるような規則は、その体系の規則と同じ種類の規則に属していなければならない。 Hohfeld の言う「強い」地位と「弱い」地位とを——すなわち、問題となる規範体系に属する規則から生じる地位と、反対の内容を有する規則を持たない体系から生じる地位とを——さらに区別すると、以下の帰結が導かれる。すなわち、刑法上の法律主義は、構成的な閉鎖規則と理解されるべきであり、それによれば、法律上の制裁規範によって処罰されない者は、処罰されてはならないということがこれである。

18.10.2021

PD Dr. Stephan Ast

新カント主義の構成要件理論

本講演は理論史的研究であり、そのベースにあるのは、今日なお意義を有する問題、すなわち、行為、所為、構成要件をどのようなものと構想するかである。まず出発点として、新カント派の影響を受けた刑法学者の構成要件理論はカント的であるのかが問われるが、結論として、これには否定的な回答が与えられる。
ある構成要件理論を基礎づけようとすれば、そこにはそれに対応する行為概念がある。新カント主義の刑法学者は、 von Liszt Belingが基礎づけた行為理解を決定的に引き継いでいた。構成要件的行為(すなわち所為)は、刑法による禁止の対象として、それゆえ違法性判断、責任判断の対象とされた。行為と構成要件実現の関係は、多くの場合、次のように理解された。すなわち、行為とは身体運動であって、所為、それも意味に関するあらゆる要素を包摂するものとしての所為の単なる物理的担い手に過ぎず、それゆえ、行為が構成要件性を備えるかは、偶然的なものであるというのがこれである。
これに対して、 Kantが身を置く理性法の伝統では、行為とは、帰属判断の帰結として構想される。帰属判断は、ある変化が起こったこと、あるいはそれが起こらなかったことを、ある人格に帰せしめるものである。帰属の対象に関する故意または過失が、帰属根拠として承認されていた。それゆえ行為とは、因果的理解とは異なり、特定の性質を持つ物または出来事として把握されるのではなく、その目的、あるいはより正確にはその機能によって判断される関係的形象として理解される。その帰結として、機能の充足に関わる要素——例えば故意または過失——は可変的なものとなる。
これらの行為理解相互の対立は、 von Lisztが行為に帰属機能を認めていなかったことを考慮すれば、相対的なものといえる。帰属は、故意または過失と理解された意味での責任についての判断によってはじめて行われたのである。特に Radbruchは、行為概念を、刑法上の不法判断の対象を定めるための、単なる法律上の技術的概念として構想した。しかし、因果的理解では、 Radbruchがまさに主張した課題を果たしえなかった。これに代えて彼は、所為(構成要件実現)を体系の基本概念に据えたのである。
 これに対して、 Honigは、構成要件を、行為の構造の問題と関連づけた。彼は、理性法の伝統をたどり、犯罪行為を、その帰属機能によって定義した。帰属根拠として、構成要件的行為結果の目的可能性を据えたのである。このようにして、行為と構成要件の分離という受け入れがたい構成を乗り越えるとともに、身体運動、結果、そして行為の意味的側面を連動させることのできない行為の因果的理解も乗り越えたのである。
  Welzelも、行為の因果的理解に固執しつつも、これを意味統一体として把握した。しかし、内容的に見れば、理性法の伝統と同じように、故意または過失を帰属根拠として理解していた——もちろん、これらを責任から切り離して理解していたという点で修正されているのだが。かくして、新カント派に続く世代になって、 Kantの実践哲学への再接合が行われたのである。

参考文献: Ast, Vom Zurechnungs- zum Kausalkonzept – Handlung und Tat von der Philosophie der Aufklärung bis zur Strafrechtswissenschaft der Weimarer Zeit, in: Pawlik/Stuckenberg/Wohlers (Hrsg.), Strafrecht und Neukantianismus, 2023, S. 311–324

28.07.2021

Dr. Zhiwei Tang

中国(刑)法学における規範論をめぐる議論

本報告は、中国(刑)法学における規範論をめぐる議論の継受状況と現在における議論の重点を明らかにするものである。とりわけ以下の3点を問題とする。すなわち、(1)中国において規範、あるいは規範論がどのように理解されているか、(2)中国における規範論に関する議論の現状と背景はどのようなものか、(3)中国(刑)法学の発展にとって規範論は、どのような寄与を、どの点でなしうるのか、がこれである。


I. 中国における規範概念および規範の一般理論に関する議論

中国において有力なのは、なによりもソヴィエト・ロシア的な国家思想、法思想に由来する制裁論的な規範理解である。これに基づいて、刑法の領域においても、刑罰法規には二重の性質があるという理論が多数説として主張されている。これによると刑罰法規は、一方では裁判官に向けられた裁判規範であり、他方では公衆に向けられた行為規範である。Binding以来のドイツの伝統的意味における行為規範と制裁規範の区別とは異なり、刑罰法規の二重性質説による行為規範と裁判規範とは、表裏一体の関係にある。このような刑法規範の理解は、行為規範と制裁規範との構造の違いや、2つの規範は連動しつつも、区別して考察しなければならないことを見落としていた四要件犯罪論に、過大評価はできないが一定の影響を及ぼした。

II. 外国法からの規範論の新たな継受

近時、日本法およびドイツ法からの新たな知見が継受されて、以上のような伝統的な規範理解と対立している。このような継受の流れは、以前は見られなかったことであるが、その理由は、従来は、規範論が法律学の学術交流においては脇役としての扱いにあり、限定的、個々的な紹介ゆえに、多くの誤解が生じていたためである。

III. 将来の展望:中国における規範論の展開

規範論が、中国における刑法理論上の議論を豊かにできるものであることには何の留保もない。不法論をめぐる議論と並び、規範論は、様々な理論的争点————例えば、中国刑法の構成要件によく見られる量的要素の役割————の解決のサポートとなりうるものである。そのためには、まずは規範論————正確には、規範に関する諸理論————の発展の流れを明らかにし、それぞれの理論の立ち位置がどのように異なっているかを浮き彫りすることが有益である。その意味で、本ワーキンググループがやろうとしていることは、中国刑法学のさらなる発展にとっての重要な基礎となるものである。

01.12.2020

PD Dr. David Kuch

法体系——規範分類——行為理由

本報告は、Joseph Raz(*1939年)の法思想における規範論的側面を明らかにするものである。注目するのは、1970年から1985年頃にかけて公表された初期の業績である。この時期の業績は、制度的法理論(I.)を包括的な実践哲学上の文脈に組み込もうとするものである(II.)。Razの思考過程のいずれの点においても、狭義の規範論的問題との接点が見られる。


I. 法理論上の前景:制度論的実証主義

Razの初期の業績は、H.L.A. Hartの古典的先行研究である『法の概念〔The Con-cept of Law〕』(1961年)から強い影響を受けており、法の「二重の制度化」(Paul Bohannan)を継承している。規範論においてこれと対応するのが、一次規則と二次規則の区別である。規範分類のカテゴリーとしてこの区分をさらに横断するものがいくつかあり、特に義務賦課規則と権能付与規則の区別、あるいは定立された規範と実務規則の区別が重要である。

II. (法)哲学上の背景:行為理由の理論

『実践的理由と規範〔Practical Reason and Norms〕』(1975年)は、法理論におけるRazの主著である。同書は、法にふさわしい規範性の理論を定立しようとしたものであり、その中心となるのが行為理由の概念である。その中で規範論にとって最も重要なイノベーションが、「排他的理由〔exclusionary reasons〕」としての規範解釈である。さらにRazは、Hans Kelsenに依拠し、規範記述命題の理論(距離を置いた言明〔detached statements〕)を素描している。いずれのテーマについても、目下ドイツでは十分に継受されているとはいえない(この点につき、vgl. Kuch, Die Autorität des Rechts, 2016)。

III. リアリズムと懐疑主義のはざまで

Razのアプローチ全体は、リアリズムと懐疑主義との独特な並立という特徴を有しているように思われる。ここには、分析法学にとって極めて重要な背後者に(Max Weberと並んで)数えられるLudwig Wittgensteinと、Joseph Razとの知的な同質性がおそらくは浮かび上がっているのである。